あんのよしなしごと

三谷幸喜さんの作品の感想、本の感想、映像作品や音楽の感想などをつづったブログです。

音楽はコミュニケーション ― クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

2010年5月30日 兵庫県立芸術文化センター にて

オールショパン・プログラム

ツィメルマンが大好き!という友人が、あいにく都合がつかなくなり行けなくなってしまったので、代わりに行かせていただきました。

私はピアノは本当に素人ですので、素人なりの感想を。

・・・こういう感覚をどう表現したらいいのでしょう。素敵とかすごいとかでは適切でない感じです。

難しそうなパッセージも超余裕!て感じでした。1音1音に中身がつまっていて、1音たりともないがしろにしません、という意思を感じました。かといって重厚、というのとも違うんですよね。

きめ細やかでしっかりしっとりなんだけど、重くなくて口に入れると溶けていく極上のシフォンケーキのような音楽。

スケルツォ2番とソナタ3番が印象に残りました。

スケルツォ2番では、ちょっとしたアクシデントがありました。曲の途中に間が空いたときに、拍手をされたお客様がいらしたのです。それに対してツィメルマンさん、「まだ曲は続くよ」といわんばかりに客席に笑顔を向けられました。そして曲は続き、また少し間が空いたとき、再び客席を向いて少しおどけた表情をされたのです。「ここで拍手は?」といった風でした。

そこで、一気に会場の空気が変わった気がしました。ツィメルマンさんと、客席の歯車が合った感覚。そこから曲の終わりまで、鳥肌ものでした。客席も音楽に積極的に関わろうとする空気が生まれ、ツィメルマンさんはそれに十分すぎるほど応えてくださる。客席との一体感というよりは、化学反応、化学変化。お互いに影響しあっている、コミュニケーション。

普段私はライブが好きで、映画よりも舞台、音楽も録音を聞くよりも、コンサートに行きたいと思うタチなのですが、まさにライブの醍醐味である、舞台上と客席のコミュニケーションを味わいました。

そして、そういう体験をすればするほど、音楽って、「その場」で生まれて消えていくことが本質な気がしてきます。けれど、私たちは録音されたものも好んで聞きます。

音楽が録音されるということは、音楽そのものにどういう影響を与えるのでしょう。また、コンピュータを使った音作りや編集が可能になり、作曲者が理想の演奏として音を作りこんで残すことが可能になった現代において、そうやって作りこまれて残されたものは、ショパンの時代の「音楽」と同じ「音楽」といっていいのでしょうか。

最近、音楽についてこんなことを考えていた矢先でもあったので、今回のコンサートツアーのプログラムにあったツィメルマンさんのインタビュー記事に、音楽の芸術性における楽譜や録音の位置づけについて言及されていて、とても興味深く読みました。ツィメルマンさんがこれからどういう活動をされていくのか、とても興味がわいてきました。

素敵な機会をくれた友人に、感謝です。