「マジックアワー」とは、写真・映画の専門用語で、太陽が地平線に落ちてから光が完全に消えてなくなるまでの夕暮れ時の約20分程度を指し、一日の中で空を最も美しく映し出すことができると言われている。これを三谷監督は、「人生で最も輝く瞬間」と転じ、テーマにしている。
普段、映画館で映画を見る習慣のない私ですが(映画館って、音量が大きすぎて私にはうるさくて苦手)、この映画は、映画館で見たほうが良かったと後悔。少なくとも、23インチの小さなTVではなく、もっと大きなTVで見るべきだったと。
ギャングのボスの愛人に手を出してしまったため、ボスに命を見逃してもらうために"伝説の殺し屋・デラ富樫"をつれてこなければならなかったが、期限までに本物のデラ富樫は見つけられなかったため、売れない俳優・村田に映画の撮影だといってデラ富樫を演じさせ、なんとか乗り切ろうとする男・備後。この備後は、
- "デラ富樫"を探しているギャングたちが見ている「現実」
- 目の前の出来事は映画の撮影であり、自分は"デラ富樫"を演じている俳優で、まわりのギャングも映画俳優だと思っている村田が見ている「虚構」
という、どう考えても両立しそうにない2つの世界を両立させるために動き回る。
この構造は、「会話している二人はまったく違うシチュエーションを前提にしているのに、誤解が誤解を生むことで、回りまわって奇跡的に会話が成り立つ」という、「君となら」や「バッドニュース・グッドタイミング」にも通じる、三谷監督のコメディのつくりとして得意なところでしょう。
リアルに考えればすぐに破綻をきたしそうな状況なのに、それがなぜか成立してしまうというのは、この映画(「ザ・マジックアワー」)のセットのつくりが、「映画のセットにも見えるし、どこかの港町の本当の街にも見える」という、だまし絵的な効果を果たしているからではと思いました。そして、それを存分に味わうには、映画館のような大画面の方が良かったなぁ、と思った次第です。
さて、この「ありえない2つの世界がなぜか成り立ってしまう」面白さは、三谷ファンならおなじみのところでしょう。・・・ということで、私はこの映画に面白さを感じたのは、この2つの世界の両立が破綻した後から。"デラ富樫"を演じていた俳優・村田の独壇場。
村田があこがれていた先輩老俳優の「マジックアワーを逃した時の一番いい方法は、明日を待つこと」「自分もまだ次のマジックアワーを待っている」という言葉に奮起し、「虚構」の世界の力をもって「現実」のギャングに立ち向かう・・・。
映画(と、それを支える人たち)が持つ力を、三谷監督は信じ、とても大切にしているのだなと思いました。
おまけの楽しさは、1シーンだけ出演されている、過去の三谷作品に出演されている俳優さんたちを見つけることでしょうか。何となく元の三谷作品でそれぞれの俳優さんが演じた役を髣髴とさせて(同役という方もいましたが)、楽しかったです。