感想を書くのも野暮な気がするほど、読後感がナチュラルな―良い意味で感情の揺さぶられることのない―作品でした。
父親と、息子(大人です)の、ある夏の避暑のお話。
特に何か大きな出来事が起こるわけでもないし、「避暑」という言葉から連想する、優雅な別荘とか、自然の美しさとか、そういうことが描かれているわけでもありません。けれど、一日、一日の描写が丁寧で、「生活する(生きる、じゃなくて)」ことの尊さを感じました。
この感覚は長嶋作品を読むといつも感じていて、私はそれを好ましく思っているのですが、それはどういうところから来るんだろうと思っていたところ、解説で柴崎友香さんが
小説では(普段の生活でもそうだけど、小説では特に)油断すると、自分の感情や言いたいことのほうに、あらゆるものを引き込んで意味づけをしてしまう危険がある。だけど、長嶋さんの小説ではちゃんと、「僕」と「魚肉ソーセージ」は「他人」になっている。(長嶋有「ジャージの二人」(集英社文庫) 解説より)
と書かれていて、思わず膝を打ちました。
小説の中の世界の描かれ方が、作者中心でも、主人公中心でも、あるいはどの人物やモノ中心でもない。例えばたまたま主人公が魚肉ソーセージを見つけたから、主人公は魚肉ソーセージについて考える。決してそこに魚肉ソーセージがあることが必然で、魚肉ソーセージが物語上重要な役割があるわけではない。でも、主人公が魚肉ソーセージに対して考えることが描写されることで、主人公の人となりや、世界観が浮き彫りになっていく。
その、作者と小説の中の世界との距離感の作り方がとても心地よいんだなと思いました。