昌幸と室賀、信繁、梅、きり、信幸それぞれのことを思うとやるせない気持ちになりました。
また、今回も三谷脚本の緻密さが冴えわたり、ストーリーの構成、エピソードの積み重ねが濃密。
まずはジャブとして小ネタから。
- さよなら、室賀さん。。。もう「黙れ、小童!」は聞けないのですね。(今回も信幸が話しかけたシーンで期待したのですが)
- 物陰で泣くきりちゃんが、なぜ泣いているかなんて全く気にせず平然と話しかける信幸。乙女心がわからん堅物だ。
- そんな堅物が真面目な顔で「男女の仲の始まりは”口吸い”から」とかいうと、なぜか噴き出してしまう・・・
- 普段はしっかり役目を果たすのに、なぜ薫にいいにおいを嗅がせるというだけの役目には失敗するのだ、佐助
「小物」だったかもしれないが、この時代をしっかり生きた室賀正武
やはり室賀さん。
昌幸とは幼馴染で、昌幸をライバル視して張り合っている。それでも、どうしても生じてしまった実力の差。
真田の存続のためなら非情なことでも何でもするという昌幸に対し、幼馴染という情の部分で、どこか昌幸を信じたいという気持ちを捨てきれなかったように思います。
自分を大きく見せたい、大きくなりたい、生き残らなければならないという思いと、幼馴染を信じる情との間で揺れ動く室賀の葛藤を感じました。
また、長年の三谷ファンとしては、室賀を演じる西村雅彦さんと脚本の三谷幸喜さんという組み合わせであることをどうしても意識せざるを得ません。
三谷さんが書く西村さんの役どころと言えば、「古畑任三郎」のお騒がせ巡査・今泉や「王様のレストラン」の支配人・範朝のような「愛すべき小物」系統と、「笑の大学」の検閲官・向坂や「90ミニッツ」の医師のような「冷徹」系統があるように思います。
久々の三谷作品での西村さんの役どころ、室賀は前者タイプ。それでもこれまでの今泉や範朝と違うのは、「小物」であっても、しっかり時代を生き、悲哀を感じさせるカッコ良さを持っているところかなと思いました。こういう役を西村さんに任せる三谷さんの信頼感も感じました。
さて、以下はあらすじプラスアルファで感想です。
(ほぼ、である調があらすじで、ですます調が感想です)
信繁と梅の結婚
さりげなく、家柄の問題で梅は側室にしかなれず、側室になる場合は祝言は行わないものであるという当時の前提が説明されます。
父・昌幸は、祝言を挙げたいという信繁に賛同しますが、母・薫は結婚そのものに反対。結局、昌幸の説得で結婚は認めるが祝言はなしということに。
浜松のウナギは・・・室賀正武の葛藤
昌幸は「小県の国衆の寄合で国を治める」と声をかけた室賀を裏切る形で大名を目指す決意を固め、それを知らない室賀は、徳川から昌幸の裏切りを知る。
プライドを傷つけられた室賀。そして徳川は室賀に、昌幸の暗殺を依頼する。
信伊から、室賀が徳川のいる浜松に呼ばれたと聞き、怪しむ昌幸達。
室賀が浜松に行ったことを隠すようなら昌幸暗殺計画あり、と確認するため信幸が室賀に浜松に行ったかどうかを聞く。
「室賀殿は肌艶が良い。浜松のウナギを食べたのではないか?」
さあ、室賀はどう答える・・・?
「ここ10年来、浜松には行ったことはない」
けれどそのあと室賀は再び浜松に行き、幼馴染を暗殺できないと断ろうとする。
葛藤する室賀。しかし徳川は室賀を追い詰め、室賀も意を決する。
それを察知した昌幸、出浦昌相、高梨内記は、室賀を討つしかなくなる。
その舞台として昌幸が選んだのは・・・信繁と梅の祝言だった。
昌幸と室賀、囲碁の勝負と命のやりとり
昌幸は室賀を信繁の祝言に招待。室賀も、昌幸を暗殺するつもりでやってくる。
祝言の席で昌幸は室賀に「久々に碁を打たないか」と誘う。
「私に勝ったことがないではないか」と答える室賀。
このやり取りだけで、二人が昔からたびたび碁を打つほど仲が良かったことが窺えます。それがお互いを暗殺しあう状況になってしまうなんて切ない・・・
淡々と碁を打つ二人。
自分を暗殺するつもりだろうと揺さぶりをかけ、家来になれば許してやるという昌幸。
これまで武士として、人として昌幸に負けたとは思ったことがないという室賀。
しかし・・・と、懐剣を碁盤に置き、「帰る」と。
そして室賀が昌幸の背後に回って・・・「お前の家来になるつもりはない」と言った瞬間、出浦、高梨内記、そして信幸によって室賀は討たれてしまう。
これを目撃した、きり。
慌てて信繁を連れてきて、祝言という場でこのようなことがあっていいのか、真田のためなら何をしてもいいのか、梅の気持ちはどうなるのかと泣き叫ぶ。
しかし信繁は、昌幸の策を見抜けなかったくやしさはあるものの、梅のために泣き叫ぶほどの怒りは覚えなかった。
信幸と二人になった信繁は、そんな自分を好きになれないとつぶやく。
信幸は、「悩め。我らはそれでも前に進むしかない」と・・・。
戦国の世の「人としての異常さ」を指摘する、きり
きりは、戦国時代ってこれが常識なのかもしれないけれど、人としての素直な感覚ではそれでいいの?と問いかけていますね。昌幸たち大人にはその問いはもう通用しませんが、信繁たち子ども世代にとっては「戦国時代の常識」を身に着けていくことが大人になることでもあり、それは人としての感覚を捨てていかないといけないことなのだ、という厳しさを信繁につきつけるとともに、見ている側にも実感させてくれます。