家康が動き始める
本多正信に「天下取りを」とそそのかされても「くどい」とその気を見せなかった家康ですが、いざ秀吉が亡くなったことを知ると、秀吉に手を合わせつつも、政治の主導権を握ろうと動き始めました。
そのやり方は、慎重で抜かりがない家康らしいもの。
- まず、万が一自分が討たれても嫡男は生き延びるように秀忠を江戸に返し、
- 阿茶局を通してお寧様に石田三成がわがままであることを印象付け(それは後に三成が寧様に誤解である旨説明して事なきを得たのですが)
- 諸大名など政治の主要人物を宴会に招いて関係を深め、大名との縁組という政治的重大事を秀吉の遺言に背いて勝手に進め、
- それを源次郎から内々に問いただされると「秀吉が亡くなっていない(亡くなったことは公表されていないため)から、遺言はまだ効力がない」と屁理屈を言い、
- 秀吉が亡くなったことが公表されてから評定で指摘されると今度は「遺言のことは忘れていた」ととぼける始末。
家康の力の大きさに、他の老衆も異を唱えることができなくなってしまいました。
源次郎から家康の抑え込みに力を貸してほしいと頼まれて承知した上杉景勝も、最初は頑張って「忘れたでは済むことではない」とつぶやいたものの、結局は「なんでもない」と・・・。景勝様、ここでもできぬ約束を・・・^^;。
さて家康の狙いは、「実質的な政治の主導者」ということなのかなと思います。
戦嫌いの家康ですし、秀吉からうまいこと権力を自分にスライドさせられれば良くて、豊臣が表向きは一番「上」であり続けることにもこだわりはなかったのではないかと思いますし、豊臣を滅ぼすつもりもこの時点ではなかったのではないかと。
実務家であって、政治家ではなかった三成
もともと裏方気質で人々をまとめるタイプではない三成。
政治の混乱期には、やはり実務家ではなく、政治家が強いのですね。
徳川の台頭に焦っているのか、今回の三成はダメダメでした。
徳川が大名を招いた宴会をしていることに対抗して三成も宴を催しますが、身内以外でやってきたのは細川忠興のみ。
その、せっかく来てくれた細川忠興に対してももてなすことをせずにさっさと部屋に戻ってしまう始末。
また加藤清正らが帰国して労いの宴を催したのはいいけれども、やはりさっさと部屋に戻ってしまう。
清正が「お前ともっと話をしたい、一緒に飲みたい」と言っているのに、三成は「話すことはない、一緒に飲みたくない」と振り切ってしまうなんて。
これでは人の心はどんどん離れていってしまうのに。
そしてその隙をついて、加藤清正と徳川の縁組成立という、徳川の動きの速さ。
本当は三成にとって清正は一番心強いはずの味方で、清正だって三成と一緒に豊臣を守りたかったはずなのに、三成は自分から心強い味方を失うようなことをしてしまいました。
結局、家康を老衆から追い出す企みも失敗し、逆に評定の場で家康に盾突いたことで家康に一喝されて立場をなくしていく三成。
とうとう家康を討つと決意を固めた様子ですが、どうみても勝ち目がないように見えますよね・・・。
真田家は
家康が秀忠を江戸に返したことを不思議がる信幸・信繁に対して、昌幸は「織田の二の舞にさせないため」とその意図を見抜き、さすがでした。
秀忠も家康の意図を汲めずに家康に怒られていましたから、子ども世代はまだまだ未熟ですね。
そして今回は、信幸・信繁兄弟が二人で行動しているところが多く、嬉しかったです。
二人とも、徳川・石田の対立など望んでいない。
それなのに情勢は限りなく徳川・石田の対立に動いており、予告の「敵味方に分かれて戦うことだけはごめんだ」という信幸のセリフが、突き刺さります・・・