何人かが集まって一つのものを作り上げる物語は、どうしてこうもグッとくるのでしょう。
オランダの医学書「ターヘル・アナトミア」に出会った前野良沢と杉田玄白が西洋に比べて遅れている日本の医学の進歩のためだという目的のもと、翻訳を決意。
辞書もほぼないという環境で、メンバーが力を合わせて言葉の意味を推察しながらの翻訳過程は、何もないところからモノが目に見えて出来上がっていく一番楽しい時間。
形が見えてからの良沢と玄白の行動の違いがとても興味深いものでした。
良沢は職人肌で完璧を求め、翻訳の質を上げることに没頭する。
玄白はプロデューサータイプで、世に出すことを重視し、そのために奔走する。
ものづくり(サービスやコトづくりも含めて)の現場では「QCD(Quality=品質、Cost=費用、Delivery=納期)」と言われるけれども、ベストなQCDを見極めるのはとても難しい。
時として、(最低限必要な品質は満たしている前提で)品質はそれほど高くなくても、世に出るタイミングが絶妙だったがゆえに社会を大きく変えるようなものがある。
杉田玄白にとって解体新書は「出す時期」が重要と考えたのだと思います。
一方、前野良沢は出す時期よりも品質を重要視。
それが後世から誤りを指摘され名を汚されることを嫌ったというような理由かどうかはさておき、ものづくりはキリがないのも事実。
もっとこうしたら良くなる、もっと、もっと手をかけたい、となる。
それを「納期」でバッサリ切ってもらうことで、作り手は後ろ髪をひかれながらも世に放つ。
ものづくりって、そういうところがあるよな、と、妙に日頃の現実も重ね合わせながら観ていました。
前野良沢と杉田玄白のギリギリのせめぎ合いが、結果として世に出す時期も逃さず、かつ品質も高めて、歴史を変える結果となったのだけど、著者として名を残すかどうかのやり取りには、心が締め付けられました。
名を残す意味とは
そんなことも考えてしまいました。
名をなさずとも自分の仕事を誰かに認めてもらえれば充分と考える良沢は、謙虚でもあるけれども、玄白が言うように、仕事にケチがつくことで名を汚されたくないという見方をすればとてもプライドが高いですよね。
けれども歴史は、名が残った人達だけで作られるのではなく、名前が残らない色々な人の直接的、間接的なかかわりの中で、積み重なって作られていく。
このエピソードから、そんな歴史の積み重ねに想いを馳せました。
「真田丸」生まれ変わりスピンオフ?
生まれ変わって現れたみたいで、つい真田丸での役柄も思い出されてしまいました。
刑部の良沢は相変わらず真面目だし、秀次の玄白は相変わらずちょっと能天気なところがあるし。直江兼続は相変わらず上司?に振り回されるし、三十郎はのほほんとしているし。
一瞬しか出てこない人物でも、あの人、この人と次々に懐かしい顔が。真田丸を楽しみに見ていたあの一年間も思い起こされ、真田丸ファンならではの楽しみもありました。