あんのよしなしごと

三谷幸喜さんの作品の感想、本の感想、映像作品や音楽の感想などをつづったブログです。

「温水夫妻」感想

作・演出:三谷幸喜
出演:唐沢寿明角野卓造戸田恵子梶原善

1999.4.3 パルコ劇場 にて観劇

【あらすじ】
吹雪のため、孤立状態になってしまったひなびた駅に閉じ込められたある夫婦(温水夫妻)と偶然居合わせた一人の男。
実はその男は温水夫人の元恋人で、あの「太宰治」だった。それを知った夫は・・・!?

4月3日、パルコ劇場にて、三谷幸喜作・演出の「温水(ぬくみず)夫妻」を観た。生の芝居を観るのは初めてで、芝居の中身はもちろん、「俳優さんの演技」を生で観られることへの興味もたくさんあった。芝居もキャストもとてもよかったと思う。温水夫妻役の角野卓造さん、戸田恵子さん、村人役の梶原善さんはTVドラマ等で見ていて三谷作品に合う、上手くて味のある演技をする人たちだと思っていたから初めから安心していたけれど、正直太宰役の唐沢寿明さんは予想がつかなかった。ところが、とても良かった。

すごく格好良かった。太宰の2枚目ぶりはもちろんのこと、その明るさ、お茶目さ、寂しがり屋な雰囲気など、まさにはまり役だった。若い頃の太宰って、こんな感じだったかもしれないと(そして、こんな太宰ならなるほど多くの人を魅了してやまないのだろうなとも)思わせた。俳優さんのすごさは、やはり生で観なければわからないのだと、そして、TVドラマで何気なく観ている俳優さんたちも、きっとすごいのだろうと思った。それくらい唐沢寿明さんの印象が強烈だった。

また、俳優さんの演技を間近で見られて(本当に間近だった!席がとても良かった)、その声、息づかい、足音、そして俳優さんから感じるパワーというか、オーラのようなものに直接触れることができることに感動した。俳優さんたちの一挙手一投足に目が釘付けになった。芝居をする側と観る側の時間と空間の共有感が何ともいえない感動を誘った。俳優って、「演じる」って、本当にすごいと思った。芝居が終わった後も余韻がずっと残っていた。

いろいろな面白さが混じった芝居だった。
まずは単純に、コメディとしての面白さ。無条件に笑えた。特に奇をてらったことをするわけではなく、普通の言葉のやりとりなのだけど、台詞の言い回しや台詞の間、そして演技という味付けがあると、こうまで人を笑わせることができるのかと不思議なくらいに、笑えた。

そして主要人物のひとりが「太宰治」であるということからくる面白さ。
先に書いた「面白さ」は「太宰治」という人物が他の人物であっても、「吹雪のため、ひなびた駅に閉じこめられてしまった夫婦と奥さんの元恋人」同士の会話として成り立つ面白さ、これはだからやはり単純にコメディとしての面白さであり、直接「笑い」につながるのに対し、こちらはその「元恋人」が「太宰治」であることにより、一般的な太宰のイメージとのギャップを感じることによる「面白さ」である。そのことが直接笑いを誘うというのではなく、
芝居全体の根底にあり、笑い所でなくても恒常的に私たちの「わくわく感」を保つ「面白さ」である。

太宰の一般的なイメージは有名な「人間失格」や「斜陽」のイメージ(あくまで、「イメージ」)からくる「暗い」「退廃的」といったものだろう。ところがこの芝居における太宰は、格好つけたがり屋で、寂しがり屋で、わがままで、いかにも良家の子息といった明るさがあって、憎めない、およそ「人間失格」や「斜陽」を書き、入水自殺をとげるような人ではないような印象である。
そのギャップによる面白さがあるからこそ、先に書いた「面白さ」が増幅される。

そして太宰ファンにとってなにより嬉しいのは、太宰を従来の一般的な「暗い」「退廃的」といったイメージから解放して、太宰ファンなら知っているでだろう、「太宰は実はこういうひと」という人物像を形にしてくれたことだろう。
三谷氏はもちろん「芝居で描いているのはフィクションの『太宰治』」だといっているが、しかしこうも言っている。「太宰治って、実はこういう人だったのかもしれない、と思ってくれれば嬉しい」と。
この芝居の舞台となっている時代は昭和16年、太宰の作品群の中では中期にあたる、内容的にも「明るい」物を書いている時代である。その時代に太宰がある駅で昔の恋人とその夫とともに閉じこめられて一晩過ごさなければならないとしたら、このような振る舞いをしたかもしれない、と太宰ファンは嬉しく納得するのではないか。

それでも、嬉しく納得し、わくわくし、十二分に笑った芝居の後、「おもしろかったぁ」という余韻の中になにか心がちくりと痛いものがあるのはなぜだろう。この芝居に描かれた、格好つけたがり屋で、寂しがり屋で、わがままで、いかにも良家の子息といった明るさがあって、憎めない太宰が、どのような運命を辿るのか、私たちは知っているからなのであろうか・・・
(1999.4.11記)