九度山での蟄居生活が1年、2年と過ぎ、信幸改め信之が赦免の願いを家康に届け続け、
あの本多正信さえも、そろそろ赦免してもいいのではと言う一方で、家康は絶対に許さない。
家康はそこまで昌幸に怒りを感じ、また恐れていたのか、と思います。
そしてその「恐れ」は、立派に成長した豊臣秀頼に対しても向けられることに。
徳川へのけん制のはずだった、秀頼と家康の体面が、家康に秀頼討伐を決意させるきっかけになってしまいました。
石田三成が加藤清正に託したもの
三成が佐和山へ蟄居する際に清正に耳打ちした言葉。
謎でしたが、今回ようやく判明しました。やはり、秀頼を託したのですね。
そして清正はそれを愚直に行っていた・・・のに、まさかの徳川勢、二代目服部半蔵に何かを仕込まれ・・・(悲)
父上・・・
孫に(少々卑怯な)喧嘩の仕方を教え、信繁には密かに自分の兵法の極意をしたためた文書を書き残していた昌幸。
いずれ豊臣と徳川がぶつかることを見越し、信繁には徳川攻めの構想を遺言します。
昌幸の構想は見事。負ける気がしないです。
そしてその極意は「軍勢を一つの塊と思うな、一人ひとりに想いがある、それを忘れるな」と。
信繁はそれを受け止め、大坂の陣に向かうのでしょう。。。
その他
- 春ちゃん、やっぱりコワい
- 板部岡江雪斎と再会。瞳の奥に燻る炎を頼ってくる人とは・・・(茶々なのでしょうね)
- 本多忠勝も引退。江雪斎といい、父親世代が引退していきますね。
- 家も建てられて、絵もうまい「素破ですから」の佐助。きりちゃんに好意ありでしょうか。
- 信之が「幸」の字を捨てたことで、昌幸が信繁に「幸」の名をもらってほしいと。「幸村」への布石でしょうか。